新しい敬いの形
ナックの松田です。今日は、敬老の日ですね。敬老の日というと、じいちゃんばあちゃんを、敬うため、手紙を書いたり、プレゼントをあげたりという感じで、これまで過ごしていたように思います。ただ、よくよく考えると、ルーツというか、由来のようなことが、たぶん、分かっていないような。。。この機会に少しネットで、見てみました。
敬老の日の始まり
ウィキペディアに書かれている内容では、兵庫県で昭和22年に村主催の、「敬老会」が開かれたのが、「敬老の日」の始まりだそうです。「老人を大切にし、お年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」ということが、大きな趣旨で開かれているようです。
ん~お恥ずかしながら、私は、こういうきっかけがあったことを、改めて知りました。敬うということには、こういった意味が込められていたんですね。
「敬老の日」をネットで検索すると、由来にまつわる記事が出てくるんですが、それ以上に出てくるのが、「敬老の日何歳から?」ん~確かに、これも、由来と同じくらい、漠然と捉えていることかもしれません。
ちょっと、不思議なのは、、、自分の身内で、子ども、孫の立場からなら、年齢はあまり気にしなくても、良いような気もするので、年齢ってそんなに、気にしなくても良いのでは・・・と思ったんですが、Q&Aサイトなどを見ると、義理の父母に「敬老の日」の、プレゼントを贈る際などに、老人扱いをして失礼じゃないか、何歳からが正解か、という感じの質問が、結構あり、確かに、これなら、ちょっと、納得かもしれません。
ちなみに、一般的には、特にルールはなく、日本では、65歳以上を、「高齢者」と定義しているので、このあたりが目安になるそうです。個人的には、年齢や日にちは関係なく、敬う気持ちがあるなら、いつでも、どこでも、出来るだけたくさん、伝えられたら良いと思います。
補足情報
日本の65歳以上を「高齢者」とする定義は、実は、確かな由来などが定かではない、あくまでも通例だそうです。通例といっても、幅広く認知され、この65歳以上=高齢者が、公共のシステムなど多くで、基軸にされています。
ですが、昨年、日本老年学会・日本老年医学会から、「高齢者の定義と区分」についての提言が、発表されました。内容としては、65~74歳を「准高齢者」、75~89歳を「高齢者」、90歳以上を「超高齢者」として区分するということ。
この提言がされた背景には、日本だけでなく、世界的にも、高齢化が進む昨今、65歳以上の人々を高齢者として取り扱った1960年代に比べ、高齢者は身体機能の若返りが確認されている。
また、これは、昔も今も、一定数、存在すると思いますが、65歳以上の人の中でも比較的、活動的な人の中には、高齢者扱いすること、またされることに違和感を抱いていた人は少なくない、長寿時代において、65歳以上の人を一括りに高齢者として扱うことへの違和感が、かねてから世の中に潜在しており、この違和感を払拭することを、考えた提言だそうです。
もっと詳しく、「ニッセイ基礎研究所」のHPに、記載がありますので、気になる方は、チェックしてみて頂ければと。超高齢化社会の日本で、介護の問題などは深刻。
でも、個人的に思うのは、自分なんかよりも、バリバリの、バイタリティーを発揮している方々も、たくさんいらっしゃって、これから、どんどん高齢化が、進んでいくとして考えると、単純に経験豊富な大先輩方が、第一線で活躍し続けられる社会にも、なるんじゃないかなと思います。
仮にそうなったとしたら、若い世代は、大先輩方から、より多くを学び、超えられるよう、切磋琢磨していくことになるのかも。これが、「敬い」の新しい形、かもしれませんね。