活用する機会がないのが望ましい耐震・制震・免震関係
ナックの松田です。本日、発生した、大阪府北部を震源とする地震により様々な被害や混乱が相次いでいます。混乱の解消と、これ以上の被害が拡大しないことを願うばかりです。日本では、古くから、地震の被害に見舞われてきた歴史があります。1990年代、2000年代になってからの、全国各地で発生した未曾有の災害は、現代に生きる幅広い世代で、いつまでも多くの人の記憶に、残り続ける出来事です。
時代の流れも後押しとなる。
近年の毎年、発生する多くの災害を受け、防災の意識は高まっているように感じます。国や自治体からも、防災に関する様々なガイドラインが冊子や電子ブックなどの形で示されており、いざというときに備え役に立つ情報が、ネットから誰でも閲覧ができます。
個人的に時間があるときなどに、いろいろ見てまして、例えば、農林水産省からの、食料の備蓄に関する、「緊急時に備えた家庭用食料品備蓄ガイド」環境省からの、「人とペットの災害対策ガイドラインの配布について」東京都からの、「東京防災」などなど、普段生活している中では、得難い情報で、参考にしたい内容が、たくさんありました。
その中で、、、内閣官房から公開されているあるガイドブックに興味をひかれました。題名は、「災害対応におけるSNS活用ガイドブック」このガイドブックの中の一説に、「災害対応として発災時の初期段階から、一貫して求められるものの一つに情報収集があげられます」とあります。
確かに、混乱を招くひとつの要因に、情報不足、誤情報があるのではないかと思います。かく言う、私も、東日本大震災のときには、地元が被災し、その状況をテレビで見て、家族、親戚、友人の安否、街の状況が、すぐには把握できず、電話もつながらなくて確認する術もなく混乱したのを覚えています。
また、後日、再開した家族、親戚、友人に話を聞くと、情報がなく、自分や街がどういう状況になっているのか、ほとんど分からなかったと聞きます。そういった状況で情報が不足するということは、不安が募るばかりであるとともに、避難指示や被災者への支援等に関する、正確な情報が行き届かず、被害が拡大する、可能性が大きくなります。
そこで、、、多くの人に、効果的な正確な情報を、発信する術として、SNSを活用する取り組みが、国や自治体で広がりをみせています。
公共機関または公人が、普段の行政情報や地域情報をFacebookやTwitterの公式アカウントを取得し、発信する手段として活用されています。一例として、このアカウントを、災害時には、情報発信ツールとし、住民に情報を発信します。
それだけではなく、平成28年に発生した熊本地震では、市内各地域の被災状況を迅速に特定するため、熊本市長が自身のTwitterから被災情報を、募集したという事例もあります。他にも、各自治体が様々な形で、災害時などにSNSが活用されております。
このように、活用される機会がないことが本当は望ましい形ではありますが、時代の流れも後押しとなり、災害時には、有効な手段のひとつに、なっていくのではないかと感じます。
備えあれば憂いなし。
SNSの特徴として、いつでもだれでもスマホさえあれば、国内に留まらず、世界中の情報が手に入り、かつ、発信もできます。
ですから、、、例えば、(操作の理解が必要ですが)体が不自由な方や、年配の方でも、端末と操作ができれば、情報の取得も、救護が必要などの発信ができたら、理想的かもしれません。そういったいろいろな面で、有効に使えそうなSNS。
でも、注意点として、、、情報の信憑性を判断しかねる場合もあります。特に、災害時などのシビアな状況の際には、デマや誤報などが発信されることも考えられるので、「きっかけとなる情報」と捉えることが肝心とも、今日、ご紹介したガイドブックに記載されています。普段の利用で信頼できる情報筋や、発信者にある程度、あたりをつけておくことも、必要かなとも思います。
とはいえ、、、有効な手段という一面はありますから、多くの人に知って頂きたい内容ではあります。
情報を得る手段以外にも、SNSの標準の機能で通話ができます。携帯電話回線が使えないときでも、ネットがつながっていれば、通話が可能で比較的つながりやすいようですから、合わせて活用したい機能です。
こういった側面から、個人的には、、、実家の両親にも、念のためSNSのアカウントを取得してもらいたいなと思うのですが、ん~これが、、、なかなかハードルが高い。離れて暮らしていますから、電話などで伝えるのも難しい。
会ったときに伝えても、上手く説明できないのもありますが、そのSNSの概要や機能を説明する時点で、かなりの拒否反応。次回、帰省したときには、少し強引にでも、アカウント取得だけは、しておこうと決めています。
SNSだけではなく、災害時には、防災の知識や備えはあればある分だけ、安全、安心の確保によりつながると私は、考えます。
途中でも書きましたが、こういった知識や備えを、活用する機会がないのが、望ましいことではありますが、備えあれば憂いなしで、日々過ごしていければと思います。