恐怖と向き合うことができるか。経営・人材育成,コミュニケーション
ナックの松田です。「人のとらないでね~」これは、我が家の2才になる息子の最近の決め台詞です。おしゃべりすることが、楽しいようで、日に日に、バリエーションが増えてきて、成長を感じるようになってきました。成長に比例して、、、
やんちゃ度もグングン高まっており(汗)まだまだ、これからだとは思いますが、褒め方、叱り方、教育の難しさのようなことを、肌で感じています。
背筋が凍りました(T_T)
何にでも、興味を持つお年頃なのか、目についた気になる物を、触りたがります。特に、大人が使うものに魅力を感じるようで、食器、くし、包丁やその他調理器具、洗剤、薬、カギ、化粧品、財布etc…おもちゃに目もくれず、とにかく、触りたがります。
手の届かない高いところに置いて、安心していたのもつかの間、イスに登れば届く、見つかったら取りあげられる、この2つを学んだようで、こっそりイスを使って、お目当ての品をGETしちゃいます。
ある日、姿は見えないけど、静かでおとなしく遊んでんな~と、テレビに没頭してたら、ふとんに奥さんのマニュキュアをぶちまけて、笑顔でパチャパチャやってる様を見たときには、背筋が凍りました(ToT)
家の中が、妙な静けさに包まれる時こそ、要注意なんですね。。。。
そういう時に、コラッ!と叱り、取り上げると、以前は、この世の終わりのように、泣いていたんですが、最近は、、、微笑みを浮かべながら近寄ってきて、「人のとらないでね~♪」と諭すように言ってきます。
そのセリフは、君が、保育園の先生に、言われていることでは(汗)?と、思いつつ気を取り直して、その後に叱っても、ふざけて聞く耳をもちません。
こんなことが繰り返しの日常で、そんな息子が可愛いとも思いますが、聞く耳を持たないのは如何なものか。。。
そんな時に、あるアプリに出会いました。それは、有名なアプリで、その名も、「鬼からの電話」
文字通り鬼から架空の着信がはいり、「言うこと聞かない子は誰だー!」と、鬼の画像と野太い声で注意するアプリ。これが、本当に怖いみたいで、初めて見た時は、鬼の画像みるやいなや、久々のこの世の終わり泣き!泣きながら高速でお片付けしてました(汗)
「叱る」と「怒る」
「鬼からの電話」は効果てきめんでも、あまりにも、怖がって泣くので、多用はしませんが、現代っ子に向けた現代風な教育の一つかもしれませんね。
ただ、この「鬼からの電話」については、賛否両論あるみたいです。ざっくりしたところで、「効果は抜群だけど、恐怖がトラウマになるかも。」
確かに、子供の怯えようからも、かなりビジュアルインパクトがありますので、このアプリを使って、意味なく、からかったりすることは、良くないと思いますし、極端ですが、言うことを聞かせるために与えた恐怖がトラウマになって、子供の元気な姿や声が見聞きできなくなるのは、とても、不本意なことです。
一方で、恐怖を与えてでも教えなくてはならないこともあるように感じます。
例えば、子供は善悪、安全と危険の区別が、明確ではありませんから、こういう部分に関しては、しっかりと教える必要があり、本人のことを考えれば、恐怖も一つの手段なのかもしれません。
これが、いわゆる、「叱る」ということなんだと思います。
「叱る」とは、、、相手のことを考えたときに出る行動です。つまり、導き成長してほしいという想いがこもった「手段、行動」です。ちなみに、これと、似た言葉で、「怒る」があります。
「怒る」は、、、自分が思いどおりにならないときに噴出する「感情」です。コントロールできない、自分の感情ですから、時には必要ですが、何かを教えたりする場合には、「叱る」と「怒る」の違いを、意識しなくてはなりません。
ここが、ごっちゃになると、自分では、相手のことを考えての行動だとしても、伝わらず、理解してもらえない可能性が高くなるからです。
伝わらず、理解してもらえないと、ストレスを感じ、「怒り」に変わる、もしくは、倍増してしまうきっかけになります。
子どもでも大人でも、叱られるのは嫌なもので、恐怖を感じることも多々あります。しかも大人は、「叱らなければならない」場合もありまよね。
叱る叱られることはない方が気持ち的には楽ですが、人が成長するためには、他人からの評価や意見と向き合うことは、避けては通れません。
仕事の場合など、特に、同僚、上司、お客様などなど、時には、耳が痛いこと、憂鬱なことを言ったり、言われたり、しなくてはなりませんが、それが、「叱る」だと気づく場合には、恐怖を感じたとしても、向き合うことで成長できるタイミングなのかもしれません。